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本感想 「「恋人という他人」の深層」秋山さと子著

 

 

メロドラマ的な表紙とタイトルからあまり期待せずに読み始めましたが、ユングの心理学と作者自身の過去体験を合わせて、男女関係を越えて人間の生き方そのものについて深い考察がされていました。

作者の秋山さと子さんはユング研究所に所属していたとのことで、なるほど納得。

 

 

男女のすれ違いが起きてしまう寂しさについて語りながら、その理由をプラトン時代の人間の原形やユングの類型まで交えながら分析しています。

語り口はやさしくてわかりやすいのに中身はしっかり。

 

男女の話から始まっても、結局は「異質な他者を理解する」ということに行きつくもので、それにはどうすればよいのかという根本的な話は人間関係全般に役立つものでした。

 

プラトンの「饗宴」にある人間の原形の話について、作者の説明がのっていたので少し引用します。

(p91)もともと人間には、男と女の二種類のほかに第三の男女型であるアンドロギュノスという種類があったのだそうです。~ところで、この三種類の人間はすべて球形で、まわりは背中と横腹でできていて、手が四本、足が四本、二つの顔が丸い首の上に乗っていたんです。~そんなわけで、みんな丸くて、力が強大で、おごり高ぶって神々を攻撃しようとしたのです。そこで神々の長であるゼウスは、人間どもを二つに切って二本足でおとなしく歩くようにしたのだと言うことです。だから、人間は太古の完全な姿に戻りたくて、分けられてしまった相手を求めて探し歩くのです。

 

古代ギリシャではそんな風に言われていたのですね。

 

ちなみに、ユングは神話について、人間の根源の共通する意識の表れだと考えていました。自他の意識がまだ未分化の時代においては、象形がミックスされて混ざって現れ、人間と動物が合体して彫像が作られたり、神話になったりしていたとされています。

そのことを知っておくと、ここで古代ギリシャの話がでてきたのも頷けます。

 

同じ文脈で語られているものとして、ユング心理学では、

「男性の中には女性性(アニマ)、女性の中には男性性(アニムス)があると考え、それらを自ら理解し自分のものにしたとき、はじめて個人が完成する」

と言われます。

 

それを理解できるまでは、それらの外部への投影として、異性とうまくいかないことがあったりしますが(理解できずに怒ってしまったり、そもそもその側面の存在を否定したり)、自分の内面をよく掘って理解することで、自分がわかるようになり、自他の区別がつき、そうして初めて相手を愛することができるというわけです。

 

この本の出版年は1982年だけど、ここ数年で出版されていてもおかしくないくらいに今に合っている内容だと思いました。

 

いつの時代も男女の機微や夫婦喧嘩というものは悩みの種になりますし、特に最近は自分探しだとか自己の確立だとか個性化だとかが流行っていて、自他の境界を見直すことが、時代のひとつのテーマになっている気がします。

 

最近はやりの(もうピークは過ぎたのかも?)、引き寄せの法則とか、自分を知るための書く瞑想とかも、フロイトやユングのあたりに思想的根拠があるのでしょうか。

 

(p92) 男女は同権であるべきですが、生理的にも、素質的にも、非常に違うし、世の中で、自分と違うものがいるということの認識が、ものごとをはっきり知る第一歩といえるでしょう。

 そして、違うものを、もっとよく知りたいと思い、なぜ違うのか、考えるところから、自分と他人の区別がでてくるし、違うものを自分の中にとりいれて、ますます自分を広く、大きくしたいと思うのは自然でしょう。

 

男女は同じと言われる世の中になりましたが、生物学的にはやはり違います。

違うものを無理に同じにするというより、違いを理解して尊重することで、互いの良さを活かしてもっと素晴らしいものが創造されるのかもしれません。

 

「違うこと」は「悪いこと」ではないけれど、理解できなかったり言葉がうまく伝わらなかったりすると、どうしてもイライラしてしまったり、怒りたくなってしまったりします。

それでもお互いを否定せずに、なんとか変化を受け入れて行こうという、前向きな思考ができたらいいなあと改めて思いました。