
静寂は無音ではない、という話があります。
窓を閉め切った部屋や、防音室の「無音」とは、わざわざ違う言葉で表される「静寂」。
コンサートがはじまる前の期待に満ちたホール、雲一つない日の芝生でのまどろみ、祖父母の家の懐かしい畳の間。
静かだけれども、そこに確かに漂っている何かを、私たちは確かに感じています。それはいったい何なのでしょう。
「静寂」とは
「静寂」という言葉の意味を引けば、「静かにひっそりとしていること」と、音に焦点を当てた答えが出てきます。
でも、私たち人間は、音以上に、何か情緒とでもいうべきものを、静寂の中に感じているはずです。
明確な答えはないでしょう。でも、私はあえて言葉で表すことに挑戦してみたいと思います。
静寂とは、「人の耳には聞こえない周波数で、生き物の生きる音が空気を揺らしていること」……なのではないでしょうか。
美しい景色の中に思う、「静寂」
昔ヨーロッパに行ったとき、数日泊った家で、私はその意味を体験しました。
昔ながらの雰囲気を残した、牧場の近くの小さい村。
単に田舎というわけでもなく、どの家々も丁寧に暮らしている様子が伝わって来る、珍しいほどきれいな村でした。
各家主が愛をこめて整えた庭が、ずっと道沿いに並んでいる、そんな暖かでかわいらしい家並み。
そんな小さな村での滞在の数日間、そこに流れていた音は確かに「静寂」だったように思います。
窓を開けていても、虫の音も風の音もしない、私の聴覚にはまぎれもなくそこは「無音」でした。でも、あのとき、私の脳は確かに何かを聞いていました。
言葉にするならば、家主たちの庭や木々への愛が、動植物の喜びが、空気に美しい波紋を作り出していました。
小説などに出てくる「宇宙の音」とはこれを指すのだと思ったことを、今でも覚えています。
手でつかめるほどにそれを認識したのはそれが初めてでしたが、そうと知ってから思い返すと、日本の夏休みの田舎にも、同じ空気があったと思います。
日本の夏はセミがたえまなく鳴いているので、決して無音になることはありませんが、その奥に、「宇宙の音」によく似たものがあります。
青い山を見上げ、川べりでフナを釣って、田んぼのあぜ道を駆けて帰って縁側でスイカを食べる。
人の作った村の匂いと、長年大事にされている木造の平屋。
田んぼにも畑にも、家の隅々にまで、人の力と丁寧さが染み渡って、自然と人間の暮らしが一番美しい形に成っている。
人も動植物もまじりあった綺麗な「静寂」がそこにありました。
科学的に、人間の耳に聞こえない音は、たしかに存在している
科学的には、人間の聞こえる範囲(可聴域)は20Hzから20kHzで、それより高い音を超音波、それより低い音を超低周波音と言うそうです。
犬は50kHzまで聞こえるそうですし、イルカに至っては150kHzまで聞こえるそうなので、人間に聞こえない音があるというのは研究上も間違いないことなのでしょう。
参考:聞こえない音からの影響 | 音と人のかかわり | TOA株式会社
上記の記事では、超音波が人間によい影響を与えることがあり、一方で超低周波音が人間の体に与える影響について問題視されはじめているとか。
どちらも「音」として耳には聞こえなくても、体の他の部分はなぜか分かっていたりするのですね。一体どこで感知しているのでしょうか。いわゆる五感以外にも、感知するための知覚器官があるのでしょうか。
関連する本で面白そうなものを見つけました。読んだらまたレポを描こうと思います。
「静寂」は、人間の知覚の外側にも世界があると教えてくれる
どうしても生きていると自分の見えるもの、聞こえるものに限られた範囲でしか世界は存在しないと思ってしまいますが、本当はその外側にもずっと広く、世界は広がっているのでしょう。「静寂」を聞くとき、私はそれに思いを馳せずにはいられないのです。
読んでいただいてありがとうございました!
